近藤藤守先生百年記念に向かって(1) 教会長  

  難波教会初代、近藤藤守先生がおかくれになり、来年1月28日に百年を迎えます。この日は、大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)で、まさしく世紀の祭典が執り行われます。信徒の皆さんにも参拝のご案内をさせていただこうと考えております。

 藤守先生は、明治13年に、持病の回復祈念のことで大阪教会初代、白神新一郎先生のもとに参拝、病気快癒のおかげを受け、翌明治14年に、教祖広前に夫婦で初参拝されます。その後、当時まだまだ交通が不便だった中、月参りをされ、たくさんの御理解を下げられました。中でも、私の好きな「神様の目」(私はそう呼んでいます)というみ教えを紹介します。

@ある時、絹川といううどん屋を伴って、多くの信者のお供え物をことづかって参った。その時、これだけことづかりましたと申して書付とともに出したら、
「私は字を知らないから読み損なうので、それはそちらで読んでくれ。私は書くから」と金光様が言われたので、大阪東区○○町、と読み出したところ、「いやいや、大阪何の年でよい」と仰せられた。そこで絹川が「金光様、大阪は広うございます。四区二郡(東・西・南・北区と東成郡、西成郡)に分かれておりますから」と申したら、金光様が、
「ははは、大阪は広いなあ。しかし、けし粒よりは少し小さかろう」と仰せられた。

A「人は十年は長いように思うけれども、神様にとっては、あちらを向いてこちらを向く時間ほどもないからなあ」と仰せられた。

 これを藤守先生に対して話した教祖様は、若い頃に伊勢や四国へ参ったことはあったものの、ほとんど大谷村から外に出られたことがありませんでした。その方が、@の「大阪がけし粒より少し小さい」って、どこから見たらそう見えるのか。Aの、十年という時間をこう感じる…いずれも、宇宙から地球を見ているようにしか思えません。
 藤守先生は、教祖様のお人柄を通して語られる神様の壮大さに、ますます深く感じ入られ、大阪、難波の地でそのことをたくさんの人に伝え、救い助けられました。藤守先生の教えを受けた人々が、今度は各地でこの道を広められます。続きは9月号で…。


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